天草空港から、今回のライヴ会場である「本渡港・大矢崎緑地公園」に向かうタクシーの中。運転手の方が「朝7時頃からWANIMAのTシャツを着た若い人達がどんどん乗ってきてね。聖地巡礼って言って、あのパチンコ屋――そう、『大和』に行きたいって言う人がたくさんいたんですよ」と話す。「パチンコ大和」と言えば、KENTAとKO-SHINが学生時代に廃業したパチンコ屋をすべて手作業で改修・改装し、バンドが練習スタジオ代わりに使っていた場所だ。『Good Job!!』に収録されている”アゲイン”のMVでは実際に彼らがスタジオを久しぶりに訪れ、古くなったスタジオを再び作り直す様子が描かれている。
ここ天草で初めてWANIMAが凱旋ライヴを行う今日は、WANIMAの歌を心の故郷のように思う人々にとっても特別な帰郷感があるものなのだろう。この日は「天草の崎津集落」の世界遺産登録1周年記念とイベントタイトルにあるように、天草にとっても特別な1日であり、ライヴエリア外には、なんと地元の方々の有志によって組織された実行委員会によるお祭り広場が開かれていた。WANIMAの故郷を自らの誇りのようにして老若男女に開こうとする人々の熱意、何よりもWANIMAへの愛情が結晶したような場所となっていた。
記録的な大雨に九州地方が見舞われ、直前まで今日の天気予報は雨だこの日の直前まで記録的な大雨に見舞われていた九州地方だったが、それが嘘のような快晴は、WANIMAを求心力にした人々の願いが呼んだものだとしか思えなかった。お祭りムードと「WANIMAの歌の原点に会いに行きたい」というピュアなエネルギーに満ちた、空と海しか見えない草原。そこに集った1万人は、文字通り老若男女だ。子連れも地元のお母さんお父さんも、ラスタカラーのTシャツを身にまとったキッズも、ひと塊になってステージの麓へ吸い込まれていく。
16時40分。お馴染みの“JUICE UP!!のテーマ”が鳴り響いて登壇した3人がオープニングに鳴らしたのは、前述した“アゲイン”だった。この“アゲイン”は改めて自分達自身を歌にした1曲だと言える。ドーム公演2daysを完遂するまでになったWANIMAが、みんなの歌であることを受け入れた上で再度原点から進むと宣誓するような歌。<懐かしくて もう一度/焼き付いて離れない>というラインは、ここ天草でこそドラマティックに響いてくる。凱旋に関する万感というよりも、喜びというよりも、ただただWANIMAの歌がピタリとこの景色にハマっていく気持ちよさと温かさが草原いっぱいに広がっていくようだ。どこかで観たことがあるような、心の中でその情景を探して思い出していくような。聴く人それぞれが人生を乗っけるかのような大合唱が会場の隅々から生まれて、年代も何も問わない歌という絆で誰もがつながっていくライヴだ。WANIMAの歌の数々に宿っている「生きて来た日々」や「見つめて来た情景」が今ここにあるからこそ、歌のど真ん中にあるものを誰もが共有している。この日は7月17日にリリースされるシングル『Summer Trap!!』から先駆けて“夏のどこかへ”も披露されたが――三ツ矢サイダー2019 CMソングとして3月からOAされている曲とはいえ――初めて目の当たりにする歌とは思えないほど人々がとにかく歌う。WANIMAの楽曲の中でもかつてなく軽やかなメロディと音の重なりが爽やかな風を吹かす1曲で、3人の明るい表情と会場の空気に共鳴するかのように、新曲と思えないほどのスピード感で歌が伝播していくのが目に見える。曲中のメンバー同士の掛け合いもさらにテンポよく繰り広げられ、歌を通した熱の交感がより速く、より強くなっていく。
この歌の即効性というか、伝わり方のスピード感とはなんなのか?
WANIMAの歌を初めて聴いた時、じんわりとした「懐かしさ」を覚えた人は少なくないんじゃないか。それは先人の音楽の要素を参照しているからとか、あの頃のあの音楽を思い出すとか、そういうことではない。その「懐かしさ」とはきっと、WANIMAの歌は「心の故郷」を追い求めているから生まれてくる感覚なんだと思う。たとえば“THANX”のように天草を離れて東京へ旅立つ時の心模様を描いた曲はまさにそういうものだし、この日アコースティックセットで披露された“CHARM”も、「WANIMAの歌が、あなたが還ってこられる場所だ」という意志から生まれてきたものだ。KENTAが自らの傷を曝け出して花火のように何段も跳ね上がるメロディに託していくのも、そうして過去や痛みを供養していけば、いつの日か穏やかさや赦しや安らぎを手に入れられるんじゃないかという祈りなんだろう。以前インタヴューで「いつも故郷を思って、忘れないように歌っている」と話してくれたこともあったが、自分が今を生きていることを実感し、さらに進んでいくための「故郷」がWANIMAの歌にはいつでも宿っているのだ。あのでっかい笑顔を支えるのは、生きてきた道で何度も襲ってきた痛みの土砂降りから逃げることなく進んできたのだという自負。今を生きるために、WANIMAは故郷の情景と心のふるさとの在処を歌にし続けて、その歌に、聴く人も自分が生きてきた道や景色を託して、それが「懐かしさ」に似た感情に触れていく。そういう意味で、この故郷・天草でのライヴはこれまでの楽曲の根幹と本質を感じさせるものだった。
終始笑顔を絶やさず、いつになく前に出てギターを弾き倒すKO-SHINの表情。先日喉に不調をきたしたのが嘘のようにグングン昇って前に前に伸びていくKENTAの歌。お馴染みの物真似の元ネタを知らない世代の子供にもしっかりと語りかけて笑いに巻き込んでいくFUJI。いつも以上に、目の前の人・目の前の場所と対話するようにしてライヴが展開していく。ステージ前方に開かれた花道に幾度となく飛び出して歌うKENTAも、観客のすぐそばでギターをかき鳴らすKO-SHINも、煽るというよりも一人ひとりに向き合って1曲1曲を伝える。その実直さが、どれだけスケールの大きな会場であっても変わらぬWANIMAらしさだと言えるし、その意気がWANIMAの歌の「近さ」を生んでいる。地元の子連れが多いこともわかった上で“渚の泡沫”や“いいから”といった「エロ格好いい」曲を遠慮なく披露してニヤリとするところも、一切変わらぬWANIMAらしさというか、あらゆる欲望を生きるエネルギー・希望として捉える歌として伝わっているはずだ。実際、“いいから”の<Hey Ho>では子供達が大喜びで跳ねる光景が見られた。
“つづくもの”や“THANX”といった初期から歌われている楽曲では、それらの歌が今ここで鳴り響いていることに誰よりも自分達自身が昂ぶっている様が目に見える。<離れるのは距離だけと>の「と」は熊本弁の語尾につく「と」だが、いつでも彼らを突き動かしてきたのは、この日みたいに故郷を愛し、故郷を抱き締める歌を全力で歌えるようになりたいという願いなんだろう。暇なく曲を連打していくライヴだが、一切ブレずに目の前の人に向かって撚られているアンサンブル自体に、この日に懸ける想いと熱が宿っている。後半にかけてみるみる声の伸びを増していくKENTAの歌も凄まじい。
そしてそのライヴが極点を刻んだのが、最終盤にプレイされた“1106”だ。自分を育ててくれた祖父が亡くなった際にKENTAが作った歌だが、漁師だった祖父を想いながら、まさに海に向かって歌が真っ直ぐに飛んでいった。この歌に綴られた<想うように歌えばいいと 思い通りにならない日を/そう教えてくれたね>と、祖父に言われた言葉をそのまま多くの人に伝える存在になったWANIMAだが、この“1106”に綴られた言葉を歌うことで誰よりも救われ続けているのはKENTA自身なのだろうし、「じいちゃん見てるかな。でも、見てたら怖いな!(笑)」とおどけて見せたが、自分の生きてきた中で出会った大事な人達がいつでも戻ってこられるように、KENTAはその人達の言葉や存在を歌の中に刻み続けていくんだろう。生きてきた道を絶対に手放さない。それがどんな道だったとしても、向き合って逃げない。そのことが今日から明日へ向かっていくための一番の力になるのだ。それを、WANIMAはいつだって忘れない。
「正直、ここ天草にはあんまりいい思い出がなくて。18年をここで過ごしたけど、逃げるようにして東京に出ました。だけど、これまで出会ってきた人や、今日来てくれている媒体の人や、PIZZA OF DEATHの人にも『天草いいところだね』って言ってもらえて。天草を離れて初めて、天草のいいところがわかりました。今日天草に来てくれた人達にもずっと歌い続けるし、これからもドーム、アリーナ、ライヴハウスを貸し切って開催していきます。たくさんの人に歌を届けたい」――。
若かりし頃に誰しもが抱くであろうまだ見ぬ世界への好奇心や、ミュージシャンとしての一途な思い故にこれまでWANIMAとして公式ライブを行うことがなかったことも有り、初めてWANIMAのライヴを目にする人も多かったであろうこの日だが、あくまで目の前の人に向き合って精一杯歌うだけ。精一杯鳴らして、精一杯近くまで行って、自分自身を歌に込めるだけ。たったそれだけの「変わらぬWANIMA」だったが、変わらないのは、いつだって自分達が生まれて生きてきた道に誠実であるためなんだと伝えるようなライヴだった。痛みも傷も忘れないことで、一人ひとりが毎日を必死に生きていることを自分のことのように思える。だから、個々が寄り添って生きることを心から願える。そうして寄り添って生きる中で、自分の人生と日々に胸を張って行くために毎日に誠実に向き合うことだけが答えなのだと歌う“ANSWER”が本編のラストを飾った。3拍子の雄大なリズムが、今ここに集った人々すべてを巻き込むスケールで響き渡っていく。陽の落ちる寸前まで、キラキラと輝いて鳴り響いた「故郷の歌」。その温かさが陽の落ちる寸前まで鳴り響き、ひたすらキラキラと輝き続けていた。
Text by 矢島大地